円滑な友情関係の継続に必要なのは本音なのか建て前なのか
…実に長ったらしいタイトルだ。w
友人からの(正直どうでもいい)相談を受けた。
いや、本人にとっては一大事なのだろう。
「鳥獣戯画でも書いてあるんか?」と思ってしまう巻物のような長さのLINEが何通も送られてきて、相当悩んでいるように見受けられる。
その8割はその時起こったことの細かい背景や会話の内容だった。
これ、相談に必要?と思いながら一生懸命読みこなす。
最後の一文には「~~、ってことなんだけど、どう思う?」
………………。
…ど、どう思う?
Yes Noでも解決策を問うでもなく私がこれを読んでどう思ったかが気になるという事ですか?
もしかして今私は現代文の問題を出されてるのか?
問1.この物語を読んで感じたことを完結に述べよ(200字以内)
…難問すぎる。急に1問目でラスボス感。
でも返信しないわけにもいかないので、とりあえず何と答えたら満点もらえるかを考え始める。
こういう問題の場合、全身全霊で本音を書きなぐったら光の速さでバツをくらう事など目に見えている。
考えるのだ必死に。筆者が求めている最高の答えをっ…!!!!
…と、ここまで書いてふと気づく。
「結局求められてる答えがすでに存在している」という事に。
実際、経験している方も多いのではないだろうか。
相手の相談に対して真摯に答えを出し回答したつもりなのに
「でも…」「けど…」
で、一掃されてしまったという苦い思い出。
大体相談される時って最早相手の中では答えが決まっていて「あとは背中を押してもらうだけなの!あなたも同じ意見だよね?ね?おねがーーーい★」
っていうあれなのだ。
真剣に考えるだけ無駄だと言える。すべてはその相談主が送ってきた文章の中に答えはあるのだ。
…やっぱり現代文の問題やないかい!!
答えが決まっている中、急に斬新な回答を出して「その手があったか!」と唸らせる大物もいるのかもしれない。
しかし大体はもう相手の意のままの回答をしてあげることが、友人との関係を円滑にするためのスキルなんだろうと感じている。
本当に自分が思っていることを告げて、相手からも「そう思ってた!」と返ってくる友達であれば、本当に気が合うんだろうから大切にした方がいいんだろうなあ。
ブログは続けようと思うから続かない
という言い訳をすぐする。w
初めまして佐倉秋兎(さくらあきと)と申します。
活字嫌いの3日坊主、人類で最もブログを書くのに適していないという自覚がありすぎます。
でもブログやろうと思ったにも理由がありまして。
日々生きてると色々な刺激(良くも悪くも)に出会います。
そういう時私はその1の刺激から10のことを考える癖があります。
10考えるとその次の日ぐらいにもう頭はパンパン。
せっかく10考えたことが死ぬほど一瞬で消え去ってくんだよね。
…もったいねえな、と思うわけですよ。
…せっかく考えたんだよ!?
一時は「これが私の座右の銘になるのか」と思うほどの大発見的なものをしてる気分になったにも関わらず次の日になれば何も覚えていない。
あまりにも鳥頭である。
なので、せっかく感じたこと、考えたことがゴミになる前にここに溜めておこうかと思った次第です。
完全に自分のためじゃんっていう…
でもブログってそういうもんじゃんんんん(?)
なので、読んでも学びが何もないブログかもしれませんが、
誰かの何か琴線にちょっとでも触れる文章が一行でもあったら幸いでございます。
(日本語合ってる?)
よろしくお願いいたします。